2021年11月9日火曜日

白石詩001以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友(其十)

以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友

其十

1孤鴻度関山、
2風霜摧翅翎。
3影低白雲暮、
4哀噭那忍聴。
5士生有如此、
6儲粟不満瓶。
7著書窮愁浜、
8可続離騒経。

杜甫の「長歌 意は極まり無し、好し老夫が為に聴け」を以て韻と()し、沔鄂の親戚友人に別れ奉る。

其十

(はぐれ)(かり)が関山を(わた)る、

2風と霜が(つばさ)(くじ)く。

3影は低い、白雲ただよう暮れ、

4哀しげな(なきごえ)は、聴くに那忍(しのびな)い。

士生(だんし)たるもの、如此(このよう)なことも有る、

(たくわえ)の粟が(かめ)不満(みたな)いくらし。

7むかしからしょもつが著されるのは、こうした窮愁浜どんぞこのとき、

8あの『離騒経』に可続つづこうではないか。


1孤鴻:群から離れた雁。 関山:辺塞の関所のある山。 2翅翎:つばさ。 5「士生」句:黄庭堅「次韻定国聞蘇子由臥病績渓」に「寒暑戦胸中、士窮有如此」とある。「士生」は男子。 6「儲粟」句:窮乏しているさま。陶淵明「帰去来辞」序に「余家貧、耕植不足以自給、幼稚盈室、瓶無儲粟、生生所資、未見其術」とある。 7「著書」句:『史記』「平原君虞卿列伝」に「然虞卿非窮愁、亦不能著書以自見於後世云」とある。  8離騒経:屈原の「離騒」。『史記』「屈原賈生列伝」に「屈平之作離騒、蓋自怨生也」とある。

2021年11月8日月曜日

白石詩001以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友(其九)

以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友

其九

1伐木響虚牝、
2吾願友褐夫。
3九関呀虎豹、
4何時内高袪。
5黄鵠眇雲樹、
6鸚鵡澹煙蕪。
7倚杖得清賞、
8洗心観本初。

杜甫の「長歌 意は極まり無し、好し老夫が為に聴け」を以て韻と()し、沔鄂の親戚友人に別れ奉る。

其九

1木を伐るおとが虚牝(たに)に響き、

(わたし)は願う、褐夫(まずしいおとこ)と友になりたい、と。

九関(てんのもん)では虎や豹が(くちあけ)ていて、

何時(いつ)になったら高く()がることを(ゆる)されるやら。

5黄鵠(楼)からは雲のたなびく樹々が(みわた)せ、

6鸚鵡(州)は(もや)のかかる(やぶ)(ぼや)けている。

7杖を(たよ)りに清賞(けしき)(たのし)み、

8心を洗って本初(おおもと)を観よう。


1伐木:木を伐る。『詩経』小雅に「伐木」詩がある。 虚牝:空谷。 2褐夫:粗末な衣服を着た人。貧しい人。 3九関:九重になっている天門。虎や豹が門を開け閉めして、天にのぼろうとする人を噛むという。 4袪:あがる。 内:容れる。 56黄鵠・鸚鵡:「黄鵠」は黄鶴に同じ、黄鶴楼を指す。「鸚鵡」は鸚鵡州を指す。ともに漢陽にあり、唐・崔顥「黄鶴楼」詩に「昔人已乗黄鶴去、此地空余黄鶴楼。黄鶴一去不復返、白雲千載空悠悠。晴川歴歴漢陽樹、芳草萋萋鸚鵡洲。日暮郷関何処是、煙波江上使人愁」と詠われている。姜夔「清波引」詞序に「予久客古沔、滄浪之煙雨、鸚鵡之草樹、頭陀・黄鶴之偉観、郎官・大別之幽処、無一日不在心目間」という。 7清賞:優雅な景色。 8洗心:心を洗う。邪念や雑念を払う喩え。 本初:原初、原始。

2021年11月7日日曜日

白石詩001以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友(其八)

以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友

其八

1宦達羞故妻、
2貧賤厭丘嫂。
3上書雲雨迥、
4還舍筍蕨老。
5江皐鉏帯経、
6決計恨不早。
7士無五羖皮、
8沒世抱枯槁。

杜甫の「長歌 意は極まり無し、好し老夫が為に聴け」を以て韻と()し、沔鄂の親戚友人に別れ奉る。

其八

宦達(しゅっせ)すれば(わか)れた妻も(はじ)いるが、

貧賤(まず)しいままでは丘嫂(あによめ)にも(きら)われる。

いけんしょたてまつろうにも雲雨おんたくはるか、

いえかえると筍や蕨がそだっているだけ。

江皐(みずべ)(けいしょ)(たずさ)えて(たがや)すくらしで、

決計(けっしん)するのが不早(おそ)かったのが(くや)まれる。

(おとこ)とて五羖の皮が無ければ、

沒世()ぬまで枯槁(やつれ)たすがたで(うろうろ)するばかりだ。


1「宦達」句:漢の朱買臣の故事。家が貧しかったが読書を好み、薪を売って生活していた。妻はその暮しぶりを恥じ、離縁した。のちに朱買臣は栄達し、別れた妻とその夫が道を清掃しているのを見かけて食事を給したが、妻は一月ほどして自殺してしまった。『漢書』「朱買臣伝」に見える。 2「貧賤」句:漢の劉邦の故事。まだ頭角を表していなかった頃、兄嫁はこの義弟を嫌がり、義弟が客とともに来たとき、羹を食べつくしたと見せかけて与えなかった。『漢書』「楚元王伝」に見える。 3雲雨:宮門にかかる雲と雨。天子の恩沢をいう。 5鉏帯経:経書を携えて耕作する。『漢書』「児寛伝」に「貧無資用、嘗為弟子都養、時行賃作、帯経而鉏、休息輒読誦」とある。 7五羖皮:春秋時代の百里傒の故事。秦に五頭の牡羊の皮で楚から買われ、秦を覇者たらしめた。『史記』「秦本紀」に見える。 8枯槁:憔悴しているさま。『楚辞』「漁父」に「屈原既放、游於江潭、行吟沢畔、顔色憔悴、形容枯槁」とある。

2021年11月6日土曜日

白石詩001以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友(其七)

以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友

其七

1中郎逝千霜、
2曲高復誰為。
3龐翁趣無絃、
4鄭伯功斲鼻。
5春風桃花溪、
6寒淥繞蒼翠。
7何当従両君、
8放浪計幽事。

杜甫の「長歌 意は極まり無し、好し老夫が為に聴け」を以て韻と()し、沔鄂の親戚友人に別れ奉る。

其七

1中郎(蔡邕)が()って千霜(せんねん)

(すばら)しい曲は(ふたた)び誰の(ため)にあるのだろう。

3龐翁には無絃(琴)の(たのしみ)があり、

4鄭伯には鼻さきのつちくれを(けず)(わざ)がある。

5春風のふく桃の花さく(たに)

(みず)蒼翠(あおば)(めぐ)る。

何当(いつ)また両君に従って、

放浪(きまま)幽事(たのしみごと)(たず)ねることができるだろう。


1中郎:「中郎」は、後漢の蔡邕のこと。琴を善くした。桐の木を燃やして飯を炊いている人がいて、蔡邕はその燃える音を聞いて良い材質だと分かり、琴を作ってもらった。その琴は尾が少し焦げていたので、「焦尾琴」と呼ばれた。また、酒食に招かれて隣人を訪ねたところ、屏の中から聞こえてきた琴の音に殺気を感じて、門から入らずに引き返した。驚いた主人が調べると、琴を弾いていた者が「鳴いている蝉を蟷螂が狙っているのが目に入り、弾きながら蟷螂が蝉を獲り逃がすのではないかと心がざわついた、それが音に表れたのでしょうか」と答えた。それを聞いて、蔡邕はにっこり笑ったという。ともに『後漢書』「蔡邕伝」に見える故事。 3龐翁:龐姓で年上の友人であろうが、未詳。 趣無絃:無絃琴を楽しむ。音律を解さなかったが、無絃の琴を持っていて、酒を飲んでは撫でていたという陶淵明の故事。 4鄭伯:鄭姓の友人であろうが、未詳。 功斲鼻:技芸が卓越していること。『荘子』に見える故事で、むかし郢人が、その鼻の上に白い壁土を蝿の羽のように薄く塗り、大工の棟梁に削り取らせた。棟梁はまさかりを振るうと、すばやい勢いで無造作にそれを削り取り、壁土はきれいに取れて、鼻を傷つけることがなかった、という。 5「春風」二句:かつて交遊した際の風景。 8放浪:気ままで束縛を受けないこと。 幽事:俗世を離れた楽しみ、雅事。

2021年11月5日金曜日

白石詩001以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友(其六)

以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友

其六

1異時之罘君、
2在涅守白顥。
3黄鍾欠牛鐸、
4淋漓弔遺稿。
5有子殊可人、〔蔡迨、堅吾、子字武伯〕
6特未見此老。
7客来請論文、
8但道曲肱好。

杜甫の「長歌 意は極まり無し、好し老夫が為に聴け」を以て韻と()し、沔鄂の親戚友人に別れ奉る。

其六

異時(むかし)、之罘君(蔡迨のこと)は、

(どろ)()ながら白顥(しろさ)を守っていた。

3黃鍾に牛鐸(蔡迨)を欠き、

淋漓(ぼくせきあざやか)な遺稿を弔うしかなかった。

5子〔蔡迨、堅吾、子は武子、字は武伯〕が()て、みな殊可人(みどころ)あるが、

()()(おんたい)(蔡迨)には未見(あえな)かった。

7客が来て文を論じていただきたいと(ねが)っても、

()(ひじ)を曲げてまくらとするが(よろ)しいと()うだけだったそうだ。


1之罘:「芝罘」、山東省煙台にある山の名。秦の始皇帝がここに登ったことがある。蜃気楼が見えるという。「之罘君」は第五句の原注にある蔡迨を指す。陸游が蔡迨と交流があり、「跋之罘先生稿」を記している。北宋の蔡斉の四世の孫。博学で文章にすぐれていた。 2「在涅」句:黒く濁った世間にいながら、潔白さを守っている。「涅」は黒くねばった泥、また泥にまみれること。『論語』「陽貨」に「不曰白乎、涅而不緇」とある。 3「黄鍾」句:「黄鍾(鐘)」は、雅楽で用いられる打楽器。音律の中心となる音。「牛鐸」は牛の鈴。雅楽の律を調和することを任された荀勗が、路で商人が牛の鈴を売っていた、あの音があれば調和するだろうと言ったところ、送られてきた牛の鈴を用いたら果たして音律が調った、という故事。『晋書』「荀勗伝」に見える。荀勗は、笛律を考えた人。 4淋漓:濡れているさま、墨跡をいう。 5蔡迨、堅吾、子字武伯:「蔡迨、堅吾、子武子、字武伯」とするテキストがあり、そのほうが通じる。「堅吾」は肩吾の誤りか。韓淲『澗泉日記』巻中に、「蔡迨、字は肩吾、許昌の人。蔡文忠公斉の孫、川蜀に流落し、……桂陽令と為り以て歿す。其の子、武子、亦た俊爽にして文を好み、今流落して荊湘の間に在り」とある。 6此老:蔡迨を指す。 8曲肱:清貧にして閑適な生活をいう。『論語』に「子曰、飯蔬食飲水、曲肱而枕之、楽亦在其中矣」とある。

106大酺(周邦彦)

大酺  周邦彦

春雨

1対宿煙收、春禽静、飛雨時鳴高屋。
2牆頭青玉斾、洗鉛霜都尽、嫩梢相触。
3潤逼琴糸、寒侵枕障、虫網吹黏簾竹。
4郵亭無人処、聴檐声不断、困眠初熟。
5奈愁極頻驚、夢軽難記、自憐幽独。

6行人帰意速。
7最先念・流潦妨車轂。
8怎奈向・蘭成憔悴、衛玠清羸、等閑時・易傷心目。
9未怪平陽客、双涙落・笛中哀曲。
10況蕭索青蕪国、紅糝鋪地、門外荊桃如菽。
11夜遊共誰秉燭。
 

春の雨

(むきあ)う、宿(やらい)(もや)()え、春の(とり)が静かになり、(ふきつけ)る雨が(たえ)高屋(やね)を鳴らすさまに。

牆頭(かきね)青玉(たけのは)は、鉛霜(おしろい)を洗い都尽(つく)し、(やわ)らかな梢が相触(ふれあ)って。

(しめりけ)が琴の(げん)(せま)り、寒さが枕障(まくらもと)(しのびい)り、虫をとる(くものいと)が吹かれて簾竹(すだれ)()りついている。

郵亭(えき)人処(ひとけ)は無い、(ひさし)をうち不断(つづ)ける(おと)を聴いていると、困眠(ねむけ)(ようや)()くなった。

(どうす)ればいいのだろう、愁いが極まって頻りに()める、夢は(あさ)難記(おぼえていられな)い、(みずか)幽独(ひとり)を憐れむ。

 

行人(たびびと)は帰りたい(おもい)(から)れて。

最先(まっさき)(おも)うのは、流潦(たまりみず)車轂(くるま)を妨げること。

怎奈(どうしようもな)(これま)で、蘭成のように憔悴し、衛玠のように清羸()せ、等閑(ありきたり)な時も心目(こころ)を傷ませ易かった。

未怪(なるほ)ど平陽の客が、(ふた)すじの涙を落としたはずだ、笛中(ふえのね)の哀しい曲をきいて。

10(まし)蕭索(さびし)青蕪国(くさはら)に、(はなびら)()ち、門外(そと)では(サクランボ)(まめ)(よう)であれば。

11夜に遊ぼう、誰が共に(ろうそく)()ってくれるだろう。


2青玉斾:新竹の喩え。「斾」は「旆」と作るテキストもあり、古代の旗の一種、先端が燕の尾の形で、旒(はたあし)を垂らす。広く旌旗(はた、のぼり)をいう。 3潤逼琴糸:雨で湿気があることが、琴の音から分かる。王充「論衡」に「天且く雨ふり、琴弦緩む」とある。 障:カーテンや屏風。 4郵亭:街道沿いに設置された旅館、文書を送ったり旅人を宿泊させた。 7流潦妨車轂:途中で水がたまって、車が走行できなくなる。「轂(こしき)」は車輪の中央の丸い木で、輻 (や) を差し込んだり車軸を通す。 8怎奈向:周済は「宋人の語、「向」は「一向」二字と解するものもある、現在の言葉では「向来」(『宋四家詞選』)、という。 蘭成:庾信の小字を蘭成という。騒乱続きの生涯で、「哀江南賦」を作った。 衛玠:晋の人、名声を聞いて訪ねてくる人が多く、「羸」疾(痩せ衰えること)に罹り、ついには病のため死んだ。二十七歳になったばかりで、当時人々は「衛玠を看殺す」と言った。 9平陽客:漢の馬融のこと、音楽を好み、笛が上手で、平陽で臥していた時に、宿で誰かが悲しげに笛を吹くのを聞いて「笛賦」を作った。 10青蕪国:雑草が生い茂っている場所。温庭筠「春江花月夜詞」に「花庭忽作青蕪国(花庭 忽として青蕪国と作る)」とある。 紅糝:落花の喩え。「糝」は米粒、派生義でばらばらに散っている粒のこと。 荊桃如菽:桜桃(サクランボ)が豆のように出始める。 11「夜遊」句:李白「春夜宴桃李園序」に「古人秉燭夜遊、良有以也(古人燭を秉りて夜遊ぶ、良に以〔ゆえ〕有るなり)」とある。

2021年11月4日木曜日

白石詩001以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友(其五)

以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友

其五

1山陰千載人、
2揮灑照八極。
3只今定武刻、
4猶帯龍虎筆。
5單侯出機杼、〔單煒、炳文〕
6豈是剣舞得。
7余波入竹石、
8絶歎咄咄逼。

杜甫の「長歌 意は極まり無し、好し老夫が為に聴け」を以て韻と()し、沔鄂の親戚友人に別れ奉る。

其五

1山陰の千載(せんねん)にひとりの人(王羲之)、

2その揮灑(ふで)八極(せかい)を照らした。

只今(いま)、定武刻(本)があり、

()お龍虎の(いきおい)(たも)っている。

5單侯〔單煒、炳文〕は新しい機杼(こうそう)を出した、

豈是(どうして)、剣舞をみて得たなどといえようか。

余波(あふれるさいのう)は竹石(画)に(いた)り、

8咄咄とせまって、絶歎ぜっさんするばかりだ。


1山陰:会稽郡山陰県(今の浙江省紹興)、東晋の書家王羲之(三○三?~三六一?)が晩年に隠逸生活を送った。 千載人:千年に一人の人材。 2八極:四方と四隅。東・西・南・北、乾・坤・艮・巽の八方。また、八方の遠い土地。 3只今:いま。 定武刻:王羲之「蘭亭序」の定武刻本。 4龍虎筆:王羲之の書を酷愛した唐の太宗が、「蘭亭序」を入手した後、能書家に摸写や臨書をさせた。中でも欧陽詢のものを最上として石に刻し、拓本を臣下に賜与した。刻石は唐の滅亡とともに流転したが、北宋の時に定武軍で発見され、黄庭堅が推奨したこともあって、広く学ばれた。「龍虎筆」は、唐の太宗が王羲之の伝につけた賛「龍の天門に跳(おど)り、虎の鳳閣に臥す」の言葉。 5出機杼:詩文の構想、構成に独創性があること。「機杼」は、はたを織る用具。杼 (ひ) 。 單煒、炳文:夏承燾『姜白石詞編年箋校』「行実考(交遊)」卅三「單炳文」、参照。周密『斉東野語』巻十二に、「単煒、字は丙文、沅陵の人。博学能文にして、二王の筆法を得。字画遒勁、古の法度に合す。法書を攷訂することに於いて尤も精し。武挙(科挙の一種)にて官を得、仕えて路分に至る。声を江湖の間に著わし、名士大夫多く之と交わる。自ら定齋居士と号し、堯章と投分最も稔(つ)む。亦た碩士なり」とある。董史『皇宋書録』巻下に、「単煒、字は丙文、谷中云う、西班の人。書を善くし、刻する所の『定武蘭亭』有り、世に伝わる。谷中嘗て其の『絳帖弁証』を取り、襄陽に於いて刻する者、『星鳳帖』の後に重刻す」とある。中田勇次郎「姜堯章の書学」は他の資料も挙げて、「かれが単丙文に学んだことは明らかであり、又、かれの蘭亭序の鑑識、絳帖の研究にも、単と相益するところがあったことが想像される」(111~112頁)という。 6剣舞:草書で有名な張旭が、剣舞を見て長足の進歩を遂げた故事。 7竹石:竹石を描いた画。 8絶歎:激賞する。 咄咄逼:人を凌駕し、驚かせること。「咄咄」は驚きおそれるさま。後には勢いが盛んなさまに用いる。

2021年11月3日水曜日

白石詩001以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友(其四)

以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友

其四

1詩人辛国士、〔辛泌、克清〕
2句法似阿駒。
3別墅滄浪曲、
4緑陰禽鳥呼。
5頗参金粟眼、
6漸造文字無。
7児輩例学語、
8屋壁祝蒲盧。

杜甫の「長歌 意は極まり無し、好し老夫が為に聴け」を以て韻と()し、沔鄂の親戚友人に別れ奉る。

其四

1詩人の辛国士、〔辛泌、克清〕

2句法は阿駒に似ている。

別墅(べっそう)は滄浪の(くま)にあり、

緑陰(こかげ)禽鳥(とり)が呼びあっている。

(すこし)ばかり金粟(如来)の(正法)眼に(まな)んで、

(しだい)に文字無くして造るようになった。

児輩(こどもら)は例にならって(ことば)を学び、

屋壁(かべ)では蒲盧(ジガバチ)が(「我に似よ」と)(ことほ)いでいる。


1詩人:『詩経』の作者。のちに詩を作る人。 国士:国中でもっとも才能にすぐれた人物。 辛泌、克清:夏承燾『姜白石詞編年箋校』「行実考(交遊)」十一「辛克清」に、「漢陽県志入文学伝」とある。 2句法:詩句の作り方。 阿駒:黄庭堅の甥の洪芻(字は駒父、南昌の人、紹聖元年=一○九四年の進士)ではないか、という。 3滄浪:漢水のこと。『書』「禹貢」に「嶓冢導漾、東流為漢。又東為滄浪之水」とある。 5「頗参」句:「金粟」は金粟如来、維摩居士の前身。「眼」は正法眼、禅宗で仏法の端的な事柄、肝要な事柄を意味する。 6「漸造」句:「文字無」は、「不立文字」すなわち経典の言葉から離れて、ひたすら坐禅することによって釈尊の悟りを直接体験すること。 8「屋壁」句:「蒲盧」は、腰の部分が細くくびれている蜂、ジガバチ(似我蜂)、とっくりバチ。アオムシの体内に卵を生み、孵化した幼虫はアオムシをエサにして育つが、昔はアオムシがハチを我が子のように養っていると誤解されていた。『詩経』小雅「小宛」に、「螟蛉有子、蜾嬴負之。教誨爾子、式穀似之」とある。黄庭堅「演雅」詩に「晴天振羽楽蜉蝣、空穴祝児成蜾臝」とあり、任淵注に「法言曰、螟蠕之子殪而逢蜾臝、祝之曰、類我、類我。久則肖之矣。注謂、螟蠕、虫也。蜾臝、蒲盧也。桑虫子始生、而蒲盧取之於木空中、七日祝而化之、以変為己子」という。

2021年11月2日火曜日

白石詩001以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友(其三)

以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友

其三

1英英白龍孫、〔鄭仁挙、次皐〕
2眉目古人気。
3拮据営数椽、
4下簾草生砌。
5文章作逕庭、
6功用見造次。
7無庸垂罄嗟、
8遺安鹿門意。

杜甫の「長歌 意は極まり無し、好し老夫が為に聴け」を以て韻と()し、沔鄂の親戚友人に別れ奉る。

其三

英英(どうどう)たる白龍の(しそん)、〔鄭仁挙、次皐〕

眉目(かおつき)は古人の気がある。

拮据(まず)しくて椽数(ぼろや)(かま)え、

4簾を(おろ)したまま、(かいだん)には草が生えている。

5文章は逕庭(かけはなれ)たものを作り、

功用(はたらき)造次(とっさ)にも(あらわ)れる。

(びんぼうぐらし)(なげ)くのは無庸(むよう)だ、

8(子孫に)遺安のこすと鹿門(山に入った龐徳公の)こころがあるではないか。


1英英:すぐれたさま。 白龍:伝説中の白い龍。 鄭仁挙、次皐:未詳。 3拮据:一生懸命はたらくこと。『詩経』豳風「鴟鴞」に「予手拮据」とある。 4下簾:生業を休んで家に閉じこもる。『漢書』「王貢両龔鮑伝」に「終君平卜筮於成都市、……裁日閲数人、得百銭、足自養、則閉肆下簾、而授老子」とある。 5逕庭:かけ離れていること。『荘子』「逍遙遊」に「吾聞言於接輿、大而無当、往而不返。吾驚怖其言猶河漢之無極也。大有逕庭、不近人情焉」とある。 6造次:とっさの間。ごく短い時間。『論語』「里仁」に「君子無終食之間違仁、造次必於是、顛沛必於是」とある。 7無庸:~しなくてよい。『左伝』隠公元年に「無庸、将自及」とある。 垂罄嗟:貧乏を嘆く。磬は、古代の矩形の楽器。「室は磬を懸けるが如し」は、磬の形の屋根がついているだけで室内に物がなにもなく、とても貧窮しているさま。『国語』「魯語上」に「室如懸磬、野無青草、何恃而不恐」とある。 8「遺安」句:鹿門山に薬を採りに行って帰らなかった龐徳公の故事。『後漢書』「逸民伝」に「龐公曰、世人皆遺之以危、今独遺之以安、雖所遺不同、未為無所遺也。(劉)表歎息而去、後遂携其妻子登鹿門山、因采薬不反」とある。

2021年11月1日月曜日

白石詩001以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友(其二)

以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友

其二

1佳人魯山下、〔謂楊大昌、正之〕
2日弄清漢波。
3促絃調宝瑟、
4哀思感人多。
5咬哇秦缶擊、
6冷落郢客歌。
7知音良不易、
8如此粲者何。

杜甫の「長歌 意は極まり無し、好し老夫が為に聴け」を以て韻と()し、沔鄂の親戚友人に別れ奉る。

其二

()き人は魯山の(ふもと)、〔楊大昌、正之を謂う〕、

2日々、清らかな漢波(かんすい)(たの)しんでいる。

3絃を(しめ)宝瑟(こと)調(かなで)れば、

哀思(かな)しい調べは多くの人を感じさせる。

咬哇(ガヤガヤ)と秦の(ほとぎ)が擊ちならされて、

(みやこ)(たびびと)の歌は冷落(さびれ)ている。

7知音は(まこと)不易(えがた)い、

如此(このよう)粲者(すばらしいひと)(どう)すればいいだろう。


1佳人:すばらしい人。 魯山:沔州漢陽県にある山。別名、大別山。漢陽県の東北一百歩に位置し、山の前には蜀江、北には漢水が流れ、山上には呉の将軍魯粛の祠があるという(『元和郡県図志』巻二十七)。 楊大昌、正之:未詳。 3促絃:弦を締める。白居易「琵琶行并序」に「感我此言良久立、却坐促弦弦転急」とある。 宝瑟:瑟の美称。 4哀思:悲しい。『礼記』「楽記」に「亡国之音哀以思」とある。 5咬哇:双声語。ガヤガヤしている。また卑俗な音楽。 秦缶:缶は瓦製の器、ほとぎ。『説文』に「缶、瓦器所以盛酒漿、秦人鼓之以節謌」とある。 6冷落:双声語。さびれている。 郢客歌:郢は楚国の都。宋玉「対楚王問」に「客有歌於郢中者、……其為陽春白雪、国中属而和者不過数十人」とある。 7知音:音律に詳しい人。また知己。伯牙が琴を弾くと、鍾子期がその音楽をよく理解した。鍾子期が死んだとき、伯牙は「知音がいなくなった」と琴の弦を断ち切った。『呂氏春秋』に見える故事。 8「如此」句:『詩経』唐風「綢繆」に「今夕何夕、見此粲者。子兮子兮、如此粲者何」とある。「粲者」は美しい人。楊大昌を指す。

2021年10月31日日曜日

白石詩001以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友(其一)

以長歌意無極好為老夫聴為韻奉別沔鄂親友

其一

1滔滔沔鄂留、
2有靦三宿桑。
3持缽了白日、
4事賤丸蛣蜣。
5念当去石友、
6煙席凌江湘。
7為君試歌商、
8歌短意則長。

杜甫の「長歌 意は極まり無し、好し老夫が為に聴け」を以て韻と()し、沔鄂の親戚友人に別れ奉る。

其一

1滔滔たる沔鄂に留まり、

三宿桑(ながとうりゅう)して有靦(はずか)しい。

(しょくじ)(もと)めて白日(いちにち)(おわ)り、

4やる事は蛣蜣(フンコロガシ)より(いや)しい。

(おも)う、(いままさ)石友(しんゆう)のもとを去り、

煙席(ふね)で長(江)湘(水)を()えていこう、と。

7君の為に、商のうたを歌おうか、

8歌は短いが、(おもい)(これこそ)(つきな)い。


淳熙十三年(1186)冬、三十二歳の作。(夏承燾『姜白石繋年』) 0長歌意無極好為老夫聴:杜甫「行次塩亭県聊題四韻奉簡厳遂州蓬州両使君諮議諸昆季」詩の第七第八句。 沔鄂:沔は沔水(漢水の別称)、鄂は現在の武漢市一帯。白石は若い頃、ここに嫁いだ姉を頼って暮らしていた。 1滔滔:水の流れるさま。『詩経』小雅「四月」に「滔滔江漢、南国之紀。尽瘁以仕、寧莫我有」とある。 2靦:恥じる。 三宿:仏教語。『後漢書』「襄楷伝」に「浮屠不三宿桑下、不欲久生恩愛、精之至也」、李賢の注に「言浮屠之人寄桑下者、不経三宿便即移去、示無愛恋之心也」とある。のちに「三宿恋」で世俗に恋着することをいう。 3持缽:仏教語。托鉢。 4蛣蜣:蜣螂。タマオシコガネ、センチコガネ、俗にフンコロガシ。黄庭堅「演雅」詩に「蛣蜣転丸賤蘇合、飛蛾赴燭甘死禍」とあり、任淵注に「荘子斉物論注曰、蛣蜣之智、在於転丸、而笑蛣蜣者、乃以蘇合為貴。按爾雅、蛣蜣、蜣蜋也」とある。 5石友:金石のようにかたい友情。晋・潘岳「金谷集作詩」に「投分寄石友、白首同所帰」とある。 7歌商:商のうたを歌う。『淮南子』「道応訓」に、衛の寧戚が徳を修めたが用いられず、商賈となって斉の東門に宿をとっていた。斉の桓公が夜に舎を出ると、寧戚が牛に飯し、角を叩いて商歌を歌っていた。桓公は常人にあらずとして召しかかえた、とある。


2021年10月11日月曜日

白石詩008待千巖(其二)

待千巖

其二

1若人金石心、
2試命洞庭浪。
3伝聞下巴陵、
4瀝酒喜無恙。
5我行丹楓林、
6屢騁白蘋望。
7烏鵲不可嗔、
8論功当坐上。

千巖を待つ

其二

1(千巖翁は)若人(くんし)のような金石(かた)い心で、

(うんめい)を試して、洞庭の浪にこぎだされた。

3伝え聞くところでは、巴陵を(くだ)り、

(おみき)(そそ)いで無恙(ぶじ)を喜ばれたそうだ。

5我は(いろづ)いた楓の林を行き、

6白い(うきくさ)のあたりを(しばし)騁望(ながめや)る。

(かささぎ)なぞアテにならぬと(しか)るのは不可(いけな)い、

8論功からいえば(かみざ)(すわ)らせる(べき)だ。


1若人:このような人。君子をいう。『論語』「憲問」に「君子哉若人、尚徳哉若人」とある。 3巴陵:今の岳陽。 5「我行」句:『楚辞』「招魂」に「湛湛江水兮上有楓」とある。 6「屢騁」句:『楚辞』「湘夫人」に「白蘋兮騁望」とある。 7「烏鵲」句:カササギが鳴くと、旅人が帰る吉兆と言われる。『西京雑記』に「乾鵲噪而行人至」、仇注に「杜詩、待弟不至、遂嗔烏鵲難憑矣」とあり、ここは逆の意で用いた。

2021年10月10日日曜日

白石詩008待千巖(其一)

待千巖

其一

1褰裳望洞庭、
2眼過天一角。
3初別未甚愁、
4別久今始覚。
5作箋非無筆、
6寒雁不肯落。
7蘆花待挐音、
8怪底北風悪。

千巖を待つ

其一

1「(もすそ)(から)」て洞庭を(ながめ)ている、

2眼を天の一角(かたすみ)()って。

3別れた(ばかり)のときは未甚愁(さほぼさびしくなか)ったが、

4別れて(しばら)くたった今、覚え始めた。

(ふみ)(したため)る筆が無いわけでは()いが、

6(南へ帰る)(あき)の雁が()不肯(ようとしな)い。

7蘆の花のあいまに(さお)音がするのを待っているが、

8北風が(イジワル)をしている怪底(せい)だなあ。


淳熙十三年(1186)秋、三十二歳の作。(夏承燾『姜白石繋年』) 0千巖:蕭徳藻の号。詩055「過湘陰寄千巖」に既出。 1褰裳:もすそをからげる。『詩経』鄭風に「褰裳」詩がり、乙女が「私を思うてくださるなら裳裾を褰(から)げて川をわたれ」と歌う。 7挐:舟をこぐ棹。 8怪底:~のせいで。


2021年10月7日木曜日

白石詩055過湘陰寄千巖

過湘陰寄千巖

1渺渺臨風思美人、
2荻花楓葉帯離声。
3夜深吹笛移船去、
4三十六湾秋月明。

湘陰を(とおりかか)り千巖に寄せる

 

渺渺(はるかとお)く風を(うけ)ながら美人(あなた)を思っています、

2荻の花、楓の葉が、(さび)しげな(おと)を帯びていて。

3夜()けに笛を吹きながら船を(うご)かして()くと、

4三十六湾に秋の月が明るい。


淳熙十二年(1185)秋、三十一歳の作。(馬維新『姜白石先生年譜』。夏承燾『姜白石繋年』は淳熙十三年(1186)秋、三十二歳の作とする) 0湘陰:潭州湘陰県(今の湖南省岳陽市)、洞庭湖の南。 千巖:蕭徳藻。生卒年不詳、紹興二十一年=一一五一年の進士、字は東夫、号は千巌老人。 4三十六湾:詩015「昔遊詩」其一に「朝発黄陵祠、暮至赤沙曲。借問此何処、滄湾三十六」とある。湘陰県近くの地名か。

2021年10月6日水曜日

白石詩084陳日華侍児読書

陳日華侍児読書

1繹句尋章久未休、
2花房日晏不梳頭。
3誰教郎主能多事、
4乞与冥冥千古愁。

陳日華の侍児(じじょ)が書物を読んでいる

()(ととの)(ぶん)(さが)して(いつまで)未休(やすまな)いし、

花房(へや)には日が(たか)くなったというのに(かみ)不梳(とかさな)い。

3誰がご郎主(しゅじん)能多事(おせっかい)(させ)たのでしょう、

冥冥(くら)い千古の愁いを乞与(あたえ)るようなことを。


淳熙五年(1178)、二十四歳の作。(馬維新『姜白石先生年譜』) 0陳日華:陳華、字は日華、福州の人。淳熙五年に淳安令(浙江省金華道)となった。 1繹:理(ととのえ)る。 2花房:部屋の美称。 晏:時刻が遅い。 3郎主:「郎君」に同じ。宋代の俗語か。 4乞与:あたえる。

2021年10月5日火曜日

白石詩085女郎山

女郎山〔漢陽県西二十里〕

1不見郢中能賦客、
2可憐負此女郎山。
3氷魂寂寞無帰処、
4独宿鴛鴦沙水寒。

女郎山〔漢陽県西二十里〕

郢中(みやこ)能賦客(ふのめいじん)不見(いな)くなったのに、

()の女郎山が(じふ)しているのが可憐(あわれ)だ。

3その冰魂(たましい)寂寞(さびし)くも帰る(ところ)()く、

(ひと)宿()の鴛鴦に沙水(きし)(つめた)い。


乾道八年(1172)、十八歳の作。(馬維新『姜白石先生年譜』) 1郢:楚の都。 能賦客:楚の屈原のように詩をよく賦する人。 3冰魂:女郎山の魂をいう。蘇軾「再用前韻(十一月二十六日松風亭下梅花盛開)」詩に「羅浮山下梅花村、玉雪為骨氷為魂」とある。 4独宿鴛鴦:杜甫「絶句」詩に「泥融飛燕子、沙暖睡鴛鴦」とある。ここは反対の意で用いた。



2021年3月30日火曜日

山谷詩0319

0319戯詠猩猩毛筆①

戯に猩猩毛の筆を詠ず

1桄榔葉暗賓郎紅   桄榔 葉暗くして 賓郎紅し
2朋友相呼堕酒中②  朋友 相い呼び 酒中に堕つ
3政以多知巧言語   政に多知にして言語を巧みにするを以て
4失身来作管城公③  身を失して来りて管城公と作る


1明窓脱帽見蒙茸   明窓に帽を脱ぎ蒙茸を見る
2酔着青鞋在眼中④  酔いて青鞋に着くるは眼中に在り
3束縛帰来儻無辱   束縛せられて帰り来たれども 儻しくは辱とする無し
4逢時猶作墨頭公⑤  時に逢わば猶お墨頭公と作らん

【通釈】

  戯れに猩猩の毛の筆を詠んだ

桄榔は葉を暗く茂らせ、檳榔は紅い実をつける。そんなところで仲間と呼び合いながら、人がしかけた酒を飲んで捕えられる。猩猩は物知りで言語を巧みにあやつるので、死んだあとは「管城公」になった。



明るい窓辺で帽子を脱ぐと、髪はぐしゃぐしゃ。酔って草の履き物をはいた様子が目に浮かぶ。しばられて帰ってきたが、ひょっとすると恥ではないかも知れない。時に恵まれれば「墨頭公」となるだろう。

【任淵注】

①山谷に此の詩の跋があり、「銭穆父(銭勰)[1]が高麗に使いしたとき、猩猩の毛の筆を得て、とても大事にしていた。私に恵んで、詩を作らせた。蘇子瞻(蘇軾)はその毛が柔らかくしなやかで思い通りに書けることを好み、私の机のそばを通りがかるたびに、筆を下ろして休むことがなかった。この当時、二公(銭勰と蘇軾)はともに(中書省)紫微閣で仕事をしていたので、私は二詩を作って、前篇(0318「和答銭穆父詠猩猩毛筆」)を穆父に奉じ、後篇(この詩のこと)を子瞻に奉じた」という。

②『花間集』の欧陽炯「南郷子」詞に、「路は南中に入り、桄榔葉暗く蓼花紅し」とある。『本草』に、「桄榔は嶺南の山谷に生ず」「賓郎は南海に生ず」とある。「酒中に堕つ」は上注(0318「和答銭穆父詠猩猩毛筆」の「愛酒酔魂在」の注)[2]を見よ。

③老杜の「鸚鵡」詩に「紅觜謾りに多知」とある。退之の詩に「惜しい哉、此の子言語を巧みにす」とある。また「毛穎伝」に「諸を管城に封じ、管城子と号す」とある。『易』に「臣密ならざれば、則ち身を失う」とある。按ずるに劉夢得の「楽天の鸚鵡に和す」詩に「誰か聡明顔色を好むを遣り、争いて須らく安置して深籠に入らしむ」とある。この詩と同じ趣旨であるが、山谷の語はより巧みである。

④筆の覆いをとって、ぐしゃぐしゃした様子を見ると、猩猩が酒を飲んで履き物をはいたときのように見える。老杜の詩に「帽を脱ぎ頂を王公の前に露わす」とある。ここは借用した。退之の「毛穎伝」に見える「冠を免じて謝す」のようなものである。『詩』に「狐裘蒙茸たり」とある。「鞋を著く」は上注に見える。老杜の詩に「青鞋布襪 此より始めん」とある。『選』詩に「薛茘 眼に在るが若し」とある。老杜の詩に「漢武の旌旗 眼中に在り」とある。

⑤意は、東坡が謫籍から戻ったことをいう。鮑叔牙は「管仲には魯に束縛された時のことを忘れさせないでください」と言った。「毛穎伝」に「その族を聚めて束縳を加えん」とある。『晋書』に「諸葛恢、名は王導、庾亮に次ぐ。明府当に黒頭三公と作るべし」とある。また「王珣伝」に「桓温曰く、王掾当に黒頭公と作るべし」とある。按ずるに『北史』「古弼伝」に「弼は頭が尖っていたので、帝はいつも筆頭と呼んでいたことから、当時の人々は筆公と呼んだ」とある。そこで山谷は筆の詩にこのことを用いた。

【補注】

[1]元豊七年(1084)に高麗に使いし、「猩猩毛筆」を得て黄庭堅に詩を添えて贈った。

[2]『唐文粋』巻七七「裴炎猩猩説」を引く。大意は、阮研という人が封渓に使いした際に村人から聞いた話で、猩猩は山や谷に数百の群れでいるが、酒を道ばたに置き、草で履き物を作ってむすびつけておくと、はじめは履き物を見て罠だと気づき、仕掛けた者の祖先の名を罵って立ち去るが、結局はまたやってきて酒を飲み、酔っぱらうと履き物をはいて村人に捕まってしまう、という。

2021年3月16日火曜日

山谷詩0505

0505戯詠蝋梅二首①

  戯れに蝋梅を詠ず二首

1金蓓鎖春寒   金蓓 春寒に鎖され
2悩人香未展   人を悩ます 香り未だ展かれず
3雖無桃李顔   桃李の顔(かんばせ)無しと雖も
4風味極不浅②  風味 極めて浅からず
 

1体薰山麝臍   体は山麝臍に薫り
2色染薔薇露   色は薔薇露に染む
3披拂不満襟   披払すれど襟に満たず
4時有暗香度③  時に暗香の度(わた)る有り

【通釈】

  戯れに蝋梅を詠う二首

黄色のつぼみが春の寒さに閉じ込められ、人を悩ませる、よい香りがまだ伝わってこなくて。身は山の麝香のように香り、色は薔薇の露で染めたよう。桃や李のような華やかな色はないが、上品な味わいは極めて深い。


身は山の麝香のように香り、色は薔薇の露で染めたよう。手をふってかごうとしても香りは襟いっぱいに入りこまず、時にどこからともなくひそやかに伝わってくる。

【任淵注】

①山谷はこの詩の後に、「都に一種の花があり、香りは梅に似ていて、花は五弁、にぶく暗い色で、女工が蝋をこねて作ったようである。そのため都の人々は蝋梅と呼んでいる。木のようすと葉は蒴藋(そくず)に似ている。竇高州(不詳。高州は今の広東省の地名)の家に茂みがあり、園いっぱいに香っている」と書いている[1]。王立之の『詩話』[2]に「蝋梅は山谷が初めてこれを見て戯れに絶句二首を作り、そこで都に広まった」とある。

②『集韻』に「蓓は蕾、花のつぼみである」とある。蓓の音は倍、蕾の音は磊と同じ。楽天の詩に「愁い郷心を鎖ざして掣(ひ)けども開かず」とある。老杜の詩に「韋曲 花は無頼にして、家家 人を悩殺す」とある。「桃李顔」は、もとは「桃杏紅」であったが後に改めた。太白の詩に「松柏 本(も)と孤直、桃李の顔を為すに難し」とある。「風味」は上注(0504「柳閎展如蘇子瞻甥也其才徳甚美有意於学故以桃李不言下自成蹊八字作詩贈之」第五首「風味窺大雅」の注)を見よ。『晋書』に、庾亮が「私はここでも興は浅くない」と言った[3]、とある。

③林逋の「梅詩」に「小園の煙景 正に凄迷たり、陣陣たる寒香 麝臍を圧す」とある。陶隠居(陶弘景)が『本草』に注して「麝は、姿は麞(くじか)に似ていて、柏の葉を常食する。中には夏に蛇を食べすぎて、秋に分泌液が盛んになり、春に急に痛くなって、自分で脚で剔(けず)り出すものがいる。人がこれを得ることができれば、香りはものすごい。雷公曰く、蹄の尖端を使って臍を弾く、その香の値は真珠と同じ」とある[4]。楊文公(楊億)の『談苑』に「南唐の金陵の宮中の人々は、薔薇水で白絹を染めていた。ある晩、外に出したまま取り込むのを忘れて、濃い露に浸かったために色が鮮やかな翠色の倍ほどに染まった」とある[5]。案ずるにいま嶺南(今の広東省・広西チワン族自治区・海南省の全域と湖南省・江西省の一部)では薔薇露[6]で衣を黄色く染めている。『荘子』に「風は北方に起こり、一(ある)いは西し一(ある)いは東し、上に在りて彷徨す。孰れか是を嘘吸し、孰れか無事に居て是を披払するや」とある。『文選』の陸士衡の詩に「形に循(したが)えば衿に盈たず」とある。林逋の「梅花詩」に「暗香浮動 月黄昏」とある。「披拂不満襟」は「不盈懐」に作るテキストもある。案ずるに『文選』の「古詩」に、「馨香 懐袖に盈つれども、路遠くして之を致す莫し」とある。

【補注】

[1]徐邦達『古書画過眼要録(晋・隋・唐・五代・宋書法)』(湖南美術出版社、1987年、289頁)では黄庭堅の書を「蝋梅詩」(0908「出礼部試院王才元恵梅花三種皆妙絶戯答三首」)の識語とし、「…能香一園」に続けて「前二篇戯詠此花、後一篇於故人張仲謀□此花(前二篇は戯れに此の花を詠み、後一篇は故人張仲謀に此の花を□す)」がある、という。鄭永暁『黄庭堅全集 輯校編年』上冊、江西人民出版社、2008年、438頁、参照。蝋梅は唐梅(カラウメ)、十二月から二月にかけて黄色い花を咲かせる。香りが高い。花弁は蝋細工のようなツヤがある。梅の名があるが、梅とは別属。花やつぼみから抽出した蝋梅油は薬に用いられる。蒴藋はそくず。スイカズラ科の多年草。実は小粒で赤く熟す。漢方では根と葉を神経痛などの薬にする。くさにわとこ。

[2]『王直方詩話』は後に散逸した。王直方(1069~1109)、字は立之、号は帰叟。江西詩派とされ、黄庭堅にその文を愛された。

[3] 『晋書』「庾亮伝」に、「庾亮が武昌にいた頃、佐吏の殷浩らが秋夜に連れ立って南楼に登り、ふと庾亮が来たのに気づき、立って席を譲ろうとしたら、庾亮はゆっくりと『諸君はどうぞそのまま。私はここでもなかなか楽しい』と言った。そうして床几に腰かけて、殷浩らと坐が終わるまで談笑した」とある。『世説新語』容止篇にも同様のエピソードが載せられている。黄庭堅がこの詩を作った時も、独りではなく友人たちと一緒に蝋梅見物に行ったことを示している。

[4]麝臍はジャコウジカの睾丸、借りて麝香のこと。繁殖期に雄は下腹部の麝香腺嚢に分泌物をためる。これを採取して麝香とする。陶弘景『本草経集注』は後に散逸したが、増補が繰り返され、任淵の時代には徽宗の大観二年(1108)に刊行された艾晟『経史証類大観本草』(『大観本草』)などが利用できた。

[5]『談苑』は楊億(口述)・黄鑑(筆録)・宋庠(整理)の著、後に散逸した。いま見られる『楊文公談苑』一巻に任淵が注に引く文は見えない。宋・江少慶『事実類苑』巻四九に、ほぼ同じ文が見える。

[6] 「薔薇水」や「薔薇露」は、ローズウォーターのような香水と思われる。

2021年3月11日木曜日

山谷詩1508

1508以椰子小冠送子予

  椰子の小冠を以て子予に送る

1漿成乳酒醺人酔   漿 乳酒を成して人を醺じて酔わしむ
2肉截鵝肪上客盤   肉は鵝肪を截って客盤に上す
3有核如匏可彫琢   核有り匏の如くして彫琢すべし
4道装宜作玉人冠①  道装 宜しく玉人の冠と作すべし

【通釈】

漿(液体)は乳酒(馬肉と葡萄で作った酒の名)となり、人を酔わせる。果肉は鵝肪(鵞鳥の白い脂肪)を切って客人の盤に並べたよう。タネは匏(ひさご)のように大きく、彫刻することができる。道装(道教徒や仏教徒の装束)をする時には、玉人(位の高い人)の冠にしてください。

【任淵注】

①『交州記』に「椰子の中には漿(液体)があり、これを飲むと酔える」とある。『図経本草』に「椰子は嶺南の州郡に生じる。実は大きく瓠ほどで、殻はまるく堅い。中に果肉があり、白くて豚の脂肪のようで、厚さは半寸ばかり。味は胡桃にも似ている。果肉の中には漿があり、乳のようで、これを飲むと涼しく、気が醺じる(酔う)」[1]とある。老杜の詩に「山瓶の乳酒 青雲より下る」とある。退之の詩に「鵝肪 佩璜を截る」とある。

【補注】

[1]『大観本草』巻十四「木部下品」の「椰子皮」条と文字にやや異同がある。『大観本草』では「図経曰、椰子、出安南、今嶺南州郡皆有之。木似桄榔無枝条、高数丈。葉在木末如束蒲。実如挂物。実外有粗皮,如棕包。次有殼、円而且堅。里有膚至白如豬肪、濃半寸許、味亦似胡桃。膚裏有漿四・五合如乳、飲之冷而氛醺。人多取殼為器、甚佳。不拘時月採、其根皮用。南人取其肉、糖飴漬之、寄至北中作果、味甚佳也」とある。

2021年3月10日水曜日

山谷詩0109

0109次韻公択舅

  公択舅に次韻す

1昨夢黄粱半熟   昨夢 黄粱 半ば熟す
2立談白璧一双   立談 白璧 一双
3驚鹿要須野草   驚鹿は要するに野草を須(もと)め
4鳴鴎本願秋江①  鳴鴎は本(もと)より秋江を願う

【通釈】

  公択おじさん[1]の詩に次韻する

昨夜の夢は、黄粱が十分に煮えぬほどの短い間のことでした。
かつて虞卿が立ち話で白璧一双をいただいた夢を、見ていました。
驚いて走る鹿が求めるのは野草でしょうし、
鳴く鴎が願うのは秋の川辺でしょう。

【任淵注】

①「黄粱」は上注(0104「王稚川既得官都下有所盼未帰予戯作林夫人欵乃歌二章与之(竹枝歌本出三巴其流在湖湘耳)欸乃湖南歌也」其二「蓋世功名黍一炊」の注)、参照。『史記』「虞卿伝」に、「趙の孝成王に遊説し、最初の面会で黄金百鎰、白璧一双を下賜された」とある。唐の王建(王維の誤り)の六言詩「田園楽七首」其二に、「再見して侯万戸に封ぜられ、立談して璧一双を賜る」とある。嵇康の「絶交書」に、「禽鹿、志は豊草に在り」[2]とある。

【補注】

[1]李常(1027~1090)、字は公択、建昌(いまの江西省永修西北)の人。母方のおじ(「舅」は母の兄弟)で、蘇軾の友人、王安石とも親しかった。黄庭堅は14歳で父を亡くし、李常のもとで学業を続けた。李常は新法に反対して地方に出されることになり、この詩はそれを慰めたもの。李常のもとの詩は伝わっていない。

[2]嵇康「与山巨源絶交書」、『文選』巻四十三。自分は『荘子』や『老子』を読んで放縦になり、世間での栄達を願う心は失せた、これは「鹿が小さい時に飼育されれば調教に従うが、成長してから束縛されると死に物狂いで綱を引きちぎって熱湯や火の中にさえ飛び込むようなもので、黄金のくつわで飾られても、おいしい御馳走でもてなされても、ますます深い林を懐かしみ、茂った草を求めるようなものです」という一節。

2021年2月25日木曜日

山谷詩0307

0307顕聖寺庭枸杞

  顕聖寺の庭の枸杞[1]

1仙苗寿日月   仙苗 日月 寿(なが)し
2仏界承雨露   仏界に雨露を承く
3誰為万年計   誰か万年の計を為し
4乞此一抔土①  此の一抔の土を乞(あた)えたる
5扶疏上翠蓋   扶疏として翠蓋を上げ
6磊落綴丹乳②  磊落として丹乳を綴らん
7去家尚不食   家を去るに尚お食わず
8出家何用許③  家を出ては何ぞ用って許さん
9政恐落人間   政に恐る 人間に落ち
10采剥四時苦④  采剥されて四時に苦しまんことを
11養成九節杖   養いて九節の杖と成し
12持献西王母⑤  持して西王母に献ぜよ

【通釈】

  顕聖寺の庭の枸杞

仙人が食べる枸杞の苗は、寿命を長くする。ここでは仏の慈悲の雨露を、注がれている。誰が万年も生きようとして、ひとすくいの土を盛った(植えた)のだろう。枝葉は茂って翠の傘をかぶったよう、実はぶらぶらと赤い乳を垂れている。家を去る(旅する)にも精力がつきすぎるからと食べないのに、出家の身でどうして食うことが許されよう(許されるはずがない)。(なのに寺に植えられたのは)きっと世間に生まれ落ちたら、むしりとられて春夏秋冬、四季苦しむことを恐れたからだろう。(この寺で)九節の杖となるまで育てて、西王母に杖として献上されるがよい。

【任淵注】

①『管子』に「百年の計は、之を樹うるに木を以てす」とある。『漢書』「張釈之伝」に「仮令(たとい)愚民長陵一抔の土を取るとも、何を以てか其の法を加えんや」とあり、注に「抔、音は歩侯の反、手もて之を掬うを謂うなり」という。乞の字は去声の読み。〇『本草』に「枸杞、一名地仙」とある。

②『漢書』「劉向伝」に「梓樹 枝葉を生じ、扶疏として上りて屋を出づ」とある。『蜀志』「先主伝」に「桑樹は童童として小さき車蓋の如し」とある。陸璣の『詩』の疏に「枸杞の子は秋に熟して正に赤し」とある。『文選』宋玉「風賦」に「枳句は巣を来たす(カラタチの曲がった枝振りは巣を引き寄せる)」とあり、李善注に司馬彪を引いて「桐子は乳に似て、其の葉に著いて生ず」とある。此は借用した。

③『本草』の「枸杞」の条に陶隠居が注して、「俗諺に『家を去ること千里、蘿摩・枸杞を食す勿れ』という。其れ陰道を強盛にするを言うなり」[2]とある。

④言うこころは、僧坊に在れば、則ち此を食すを用いず、故に采剥の害を免る。東坡先生の「後杞菊賦」に「吾れ方に杞を以て糧と為し、菊を以て糗と為す、春は苗を食い、夏は葉を食い、秋は花実を食い、而して冬は根を食い、西河南陽の寿を庶幾(こいねが)う」とある。

⑤『本草』に「枸杞は一名仙人杖、一名西王母杖」とある。老杜の詩に「安んぞ仙人九節の杖を得て、拄げて玉女の洗頭盆に到らん」とある。按ずるに、『真誥』に「楊羲、蓬萊の仙翁の赤九節杖を拄(ささ)えて、白竜を視るを夢む」とある。

【補注】

[1]枸杞には「仙人杖」など多くの異称があり、古くから精気を益して寿命を延ばすと伝えられてきた。それが寺に植えられているのはいったい何故だろう、と諧謔の詩を作った。

[2]この俗謡は蘿摩と枸杞についての禁忌で、「摘むと白い乳汁を出す」のは蘿摩のほう。蘿摩はガガイモ、生の葉や茎から出る白い汁は、塗ると蛇や虫さされの解毒になる。若い芽は、茹でたり炒めたりして食用される。乾燥した実や葉は、強精剤として用いられる。

2021年2月23日火曜日

山谷詩0301

0301有恵江南帳中香者戯答六言二首①

  江南の帳中香を恵む者有り戯に六言二首を答う
 
1百錬香螺沈水   香螺と沈水とを百錬して
2宝薫近出江南   宝薫 近(ちかご)ろ江南より出づ
3一穟黄雲繞几   一穟の黄雲 几を繞り
4深禅想対同参②  深禅 同参に対せんことを想う



1螺甲割崑崙耳   螺甲は崑崙の耳を割き
2香材屑鷓鴣斑   香材は鷓鴣斑を屑にす
3欲雨鳴鳩日永   雨(あめふ)らんと欲して 鳴鳩 日 永し
4下帷睡鴨春閑③  帷を下して 睡鴨 春 閑かなり

【通釈】

  江南の帳中香をくれた人がいたので、戯れに六言二首を返した

香螺(巻き貝の灰)と沈水(香木)を何度も練って、宝のような薫りの香(あの南唐の李後主が作らせたという帳中香)が、ちかごろ江南で作られた。ひとすじの穂のような黄雲(煙)が脇息のまわりに立ちのぼる。深妙禅(修行法の一つ)をして、(かつて馬祖道一に)同参した人々(のような友人、あなた)と向かいあいたい(李後主は美女と帳中で向かいあったのだけれど)。



崑崙(インド人)の耳を割いたような巻き貝の殻を焼いて灰にし、鷓鴣の羽のような斑点のある樹脂(沈水香)を細かくして、香の材料としている(貴重な良い香である)。(仏陀が五分法身香となって大三世界に慈悲の雨を注がれたように)雨が降りだしそうな気配に、晩春の長い昼下がり、鳩は羽をふるわせながら鳴き、とばりをおろした中では睡鴨の香炉に煙がたゆたい、のどかな春である。

【任淵注】

①洪駒父[1]の『香譜』に、「江南李主帳中香法」[2]がある。鵝梨(梨の一種で、皮が薄く汁が多い。濃厚な香りがある)の汁で沈香を蒸して使う。

②『文選』の詩に、「豈に意(おも)わんや 百錬の剛、化して指を繞る柔を作(なさ)んとは」とある。ここでは借用している。「香螺」は螺(巻き貝)の甲(殻)をいう。下篇の注に見える。唐の本草の注に、「沈水香は、天竺・単于の二国に産出する。木は欅や柳に似て、ずっしり重く、黒色で、水に沈むのが、これである」[3]とある。『伝灯録』に、「第二十二祖の摩挐羅(マヌラ)が西インドへ行き香を焚いた。そして月氏国の王はたちまち異香が穂のように立ち上るのを見た」とある。按ずるに、韻書に「穂」は「また穟とも書く」とある。『法華経』に、「みな深妙なる禅定[4]を得た」とある。『伝灯録』にはまた、「馬祖[5]に同参するもの九人」とある。

③唐の本草に、「蠡(ら。巻き貝の一種)の類は雲南に産出する。大きさは掌くらい、青黄色で、黒く焼いて灰を使う」とある。いま合香(あわせこう。香料を練り合わせて作った香)に多く使われる。詩句の意味は、よく香りを発して、煙がのぼるさま。韻書には、「蠡」は「螺とも書く」とある。韓鄂『四時纂要』に「脩甲香方」を載せて、「大甲香は、崑崙(インド人)の耳のようなものを採取し、酒で煮て蜜で煮詰めて、いろいろな香に入れて使う」とある。『倦游録』に、「高州や竇州(ともに現在の広東省)では結香[6]を産生する。山に暮らす人々は香木の幹や枝の曲がっている箇所を見つけると、刀で刻んで穴を作る。年月を経て雨水に漬かったものを、鋸で採取する。白木を削りとると、香が固まって斑点になっているので、鷓鴣斑とも呼ばれる」とある。『礼記』「月令」に、「(季春に)鳴鳩其の羽を払う」とある。李商隠の詩に、「睡鴨の香炉夕薫を換う」とある。

【補注】

[1]洪芻(字は駒父)は黄庭堅の甥。父の洪民師が黄庭堅の妹を娶り、四子(洪朋・洪芻・洪炎・洪羽)は「豫章四洪」と呼ばれた。早くに両親が亡くなり、祖母に養育された。祖母は黄庭堅の母の妹で、黄庭堅とその妹(洪芻の母)と洪民師はいとこの関係になる。祖父は洪文挙。

[2]「江南李主」は南唐の李後主、李煜のこと。

[3]「沈水香」(沈香)は、ジンチョウゲ科の香木。風雨や病気・害虫などで木が傷つくと、修復のため樹液が出て、それが固まって樹脂となり、長い年月をかけて胞子やバクテリアの働きにより成分が変質し、香りを放つようになる。樹脂により重くなり、水に沈む。とくに質のよい伽羅(きゃら)は、「沈香」のサンスクリット語(梵語)aguru(アグル)またはagaru(アガル)の油分が多く色の濃いものkālāguru(カーラーグル)が語源とされる。「天竺」はインドの旧名。「単于」は匈奴など北アジア遊牧国家の初期の君主の号。「天竺・単于」で産地の中央アジアから東南アジア一帯を指すか。

[4]「禅」はサンスクリット語(梵語)dhyānaの音写「禅那」の略。「定」はその漢訳。思いを静め心を明らかにして、真正の理を悟るための修行法。精神を集中し、三昧に入り、寂静の心境に達すること。六波羅蜜の一。

[5]馬祖道一(709~788)、漢州什邡県の出身で俗姓は馬氏、諡は大寂禅師。

[6]沈水香の一種。ふつうは樹液の油成分だけが固まるが、現地の蜜香樹の繊維質がまじって鷓鴣の羽のような斑点になるという。

2021年2月22日月曜日

『山谷詩集注』を読む

『山谷詩集注』二十巻、宋・黄庭堅撰、宋・任淵注。

これも少しずつ読んでいこうと思う。作品に整理番号をつける。例:

  0101 巻一の第1首
  2010 巻二十の第10首

詩題がすごく長い作品もあるので、タイトルにはこの整理番号を利用し、「山谷詩0101」のようにする。ブログ内部検索できるように。うまくいくかな~?


2021年2月21日日曜日

蔡義江『宋詞三百首全解』

 清・上彊邨民編、蔡義江解『宋詞三百首全解』(第二版)、復旦大学出版社、2015年。

清の上彊邨民こと朱祖謀(原名は孝臧)が編纂した『宋詞三百首』に、蔡義江が注解(注釈・語訳・賞析)を加えたもの。これを参考に、宋詞を少しずつ読んでいきたい。

2021年2月20日土曜日