2021年3月16日火曜日

山谷詩0505

0505戯詠蝋梅二首①

  戯れに蝋梅を詠ず二首

1金蓓鎖春寒   金蓓 春寒に鎖され
2悩人香未展   人を悩ます 香り未だ展かれず
3雖無桃李顔   桃李の顔(かんばせ)無しと雖も
4風味極不浅②  風味 極めて浅からず
 

1体薰山麝臍   体は山麝臍に薫り
2色染薔薇露   色は薔薇露に染む
3披拂不満襟   披払すれど襟に満たず
4時有暗香度③  時に暗香の度(わた)る有り

【通釈】

  戯れに蝋梅を詠う二首

黄色のつぼみが春の寒さに閉じ込められ、人を悩ませる、よい香りがまだ伝わってこなくて。身は山の麝香のように香り、色は薔薇の露で染めたよう。桃や李のような華やかな色はないが、上品な味わいは極めて深い。


身は山の麝香のように香り、色は薔薇の露で染めたよう。手をふってかごうとしても香りは襟いっぱいに入りこまず、時にどこからともなくひそやかに伝わってくる。

【任淵注】

①山谷はこの詩の後に、「都に一種の花があり、香りは梅に似ていて、花は五弁、にぶく暗い色で、女工が蝋をこねて作ったようである。そのため都の人々は蝋梅と呼んでいる。木のようすと葉は蒴藋(そくず)に似ている。竇高州(不詳。高州は今の広東省の地名)の家に茂みがあり、園いっぱいに香っている」と書いている[1]。王立之の『詩話』[2]に「蝋梅は山谷が初めてこれを見て戯れに絶句二首を作り、そこで都に広まった」とある。

②『集韻』に「蓓は蕾、花のつぼみである」とある。蓓の音は倍、蕾の音は磊と同じ。楽天の詩に「愁い郷心を鎖ざして掣(ひ)けども開かず」とある。老杜の詩に「韋曲 花は無頼にして、家家 人を悩殺す」とある。「桃李顔」は、もとは「桃杏紅」であったが後に改めた。太白の詩に「松柏 本(も)と孤直、桃李の顔を為すに難し」とある。「風味」は上注(0504「柳閎展如蘇子瞻甥也其才徳甚美有意於学故以桃李不言下自成蹊八字作詩贈之」第五首「風味窺大雅」の注)を見よ。『晋書』に、庾亮が「私はここでも興は浅くない」と言った[3]、とある。

③林逋の「梅詩」に「小園の煙景 正に凄迷たり、陣陣たる寒香 麝臍を圧す」とある。陶隠居(陶弘景)が『本草』に注して「麝は、姿は麞(くじか)に似ていて、柏の葉を常食する。中には夏に蛇を食べすぎて、秋に分泌液が盛んになり、春に急に痛くなって、自分で脚で剔(けず)り出すものがいる。人がこれを得ることができれば、香りはものすごい。雷公曰く、蹄の尖端を使って臍を弾く、その香の値は真珠と同じ」とある[4]。楊文公(楊億)の『談苑』に「南唐の金陵の宮中の人々は、薔薇水で白絹を染めていた。ある晩、外に出したまま取り込むのを忘れて、濃い露に浸かったために色が鮮やかな翠色の倍ほどに染まった」とある[5]。案ずるにいま嶺南(今の広東省・広西チワン族自治区・海南省の全域と湖南省・江西省の一部)では薔薇露[6]で衣を黄色く染めている。『荘子』に「風は北方に起こり、一(ある)いは西し一(ある)いは東し、上に在りて彷徨す。孰れか是を嘘吸し、孰れか無事に居て是を披払するや」とある。『文選』の陸士衡の詩に「形に循(したが)えば衿に盈たず」とある。林逋の「梅花詩」に「暗香浮動 月黄昏」とある。「披拂不満襟」は「不盈懐」に作るテキストもある。案ずるに『文選』の「古詩」に、「馨香 懐袖に盈つれども、路遠くして之を致す莫し」とある。

【補注】

[1]徐邦達『古書画過眼要録(晋・隋・唐・五代・宋書法)』(湖南美術出版社、1987年、289頁)では黄庭堅の書を「蝋梅詩」(0908「出礼部試院王才元恵梅花三種皆妙絶戯答三首」)の識語とし、「…能香一園」に続けて「前二篇戯詠此花、後一篇於故人張仲謀□此花(前二篇は戯れに此の花を詠み、後一篇は故人張仲謀に此の花を□す)」がある、という。鄭永暁『黄庭堅全集 輯校編年』上冊、江西人民出版社、2008年、438頁、参照。蝋梅は唐梅(カラウメ)、十二月から二月にかけて黄色い花を咲かせる。香りが高い。花弁は蝋細工のようなツヤがある。梅の名があるが、梅とは別属。花やつぼみから抽出した蝋梅油は薬に用いられる。蒴藋はそくず。スイカズラ科の多年草。実は小粒で赤く熟す。漢方では根と葉を神経痛などの薬にする。くさにわとこ。

[2]『王直方詩話』は後に散逸した。王直方(1069~1109)、字は立之、号は帰叟。江西詩派とされ、黄庭堅にその文を愛された。

[3] 『晋書』「庾亮伝」に、「庾亮が武昌にいた頃、佐吏の殷浩らが秋夜に連れ立って南楼に登り、ふと庾亮が来たのに気づき、立って席を譲ろうとしたら、庾亮はゆっくりと『諸君はどうぞそのまま。私はここでもなかなか楽しい』と言った。そうして床几に腰かけて、殷浩らと坐が終わるまで談笑した」とある。『世説新語』容止篇にも同様のエピソードが載せられている。黄庭堅がこの詩を作った時も、独りではなく友人たちと一緒に蝋梅見物に行ったことを示している。

[4]麝臍はジャコウジカの睾丸、借りて麝香のこと。繁殖期に雄は下腹部の麝香腺嚢に分泌物をためる。これを採取して麝香とする。陶弘景『本草経集注』は後に散逸したが、増補が繰り返され、任淵の時代には徽宗の大観二年(1108)に刊行された艾晟『経史証類大観本草』(『大観本草』)などが利用できた。

[5]『談苑』は楊億(口述)・黄鑑(筆録)・宋庠(整理)の著、後に散逸した。いま見られる『楊文公談苑』一巻に任淵が注に引く文は見えない。宋・江少慶『事実類苑』巻四九に、ほぼ同じ文が見える。

[6] 「薔薇水」や「薔薇露」は、ローズウォーターのような香水と思われる。

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