戯に猩猩毛の筆を詠ず
1桄榔葉暗賓郎紅 桄榔 葉暗くして 賓郎紅し
2朋友相呼堕酒中② 朋友 相い呼び 酒中に堕つ
3政以多知巧言語 政に多知にして言語を巧みにするを以て
4失身来作管城公③ 身を失して来りて管城公と作る
又
1明窓脱帽見蒙茸 明窓に帽を脱ぎ蒙茸を見る
2酔着青鞋在眼中④ 酔いて青鞋に着くるは眼中に在り
3束縛帰来儻無辱 束縛せられて帰り来たれども 儻しくは辱とする無し
4逢時猶作墨頭公⑤ 時に逢わば猶お墨頭公と作らん
【通釈】
戯れに猩猩の毛の筆を詠んだ
桄榔は葉を暗く茂らせ、檳榔は紅い実をつける。そんなところで仲間と呼び合いながら、人がしかけた酒を飲んで捕えられる。猩猩は物知りで言語を巧みにあやつるので、死んだあとは「管城公」になった。
又
明るい窓辺で帽子を脱ぐと、髪はぐしゃぐしゃ。酔って草の履き物をはいた様子が目に浮かぶ。しばられて帰ってきたが、ひょっとすると恥ではないかも知れない。時に恵まれれば「墨頭公」となるだろう。
【任淵注】
①山谷に此の詩の跋があり、「銭穆父(銭勰)[1]が高麗に使いしたとき、猩猩の毛の筆を得て、とても大事にしていた。私に恵んで、詩を作らせた。蘇子瞻(蘇軾)はその毛が柔らかくしなやかで思い通りに書けることを好み、私の机のそばを通りがかるたびに、筆を下ろして休むことがなかった。この当時、二公(銭勰と蘇軾)はともに(中書省)紫微閣で仕事をしていたので、私は二詩を作って、前篇(0318「和答銭穆父詠猩猩毛筆」)を穆父に奉じ、後篇(この詩のこと)を子瞻に奉じた」という。
②『花間集』の欧陽炯「南郷子」詞に、「路は南中に入り、桄榔葉暗く蓼花紅し」とある。『本草』に、「桄榔は嶺南の山谷に生ず」「賓郎は南海に生ず」とある。「酒中に堕つ」は上注(0318「和答銭穆父詠猩猩毛筆」の「愛酒酔魂在」の注)[2]を見よ。
③老杜の「鸚鵡」詩に「紅觜謾りに多知」とある。退之の詩に「惜しい哉、此の子言語を巧みにす」とある。また「毛穎伝」に「諸を管城に封じ、管城子と号す」とある。『易』に「臣密ならざれば、則ち身を失う」とある。按ずるに劉夢得の「楽天の鸚鵡に和す」詩に「誰か聡明顔色を好むを遣り、争いて須らく安置して深籠に入らしむ」とある。この詩と同じ趣旨であるが、山谷の語はより巧みである。
④筆の覆いをとって、ぐしゃぐしゃした様子を見ると、猩猩が酒を飲んで履き物をはいたときのように見える。老杜の詩に「帽を脱ぎ頂を王公の前に露わす」とある。ここは借用した。退之の「毛穎伝」に見える「冠を免じて謝す」のようなものである。『詩』に「狐裘蒙茸たり」とある。「鞋を著く」は上注に見える。老杜の詩に「青鞋布襪 此より始めん」とある。『選』詩に「薛茘 眼に在るが若し」とある。老杜の詩に「漢武の旌旗 眼中に在り」とある。
⑤意は、東坡が謫籍から戻ったことをいう。鮑叔牙は「管仲には魯に束縛された時のことを忘れさせないでください」と言った。「毛穎伝」に「その族を聚めて束縳を加えん」とある。『晋書』に「諸葛恢、名は王導、庾亮に次ぐ。明府当に黒頭三公と作るべし」とある。また「王珣伝」に「桓温曰く、王掾当に黒頭公と作るべし」とある。按ずるに『北史』「古弼伝」に「弼は頭が尖っていたので、帝はいつも筆頭と呼んでいたことから、当時の人々は筆公と呼んだ」とある。そこで山谷は筆の詩にこのことを用いた。
【補注】
[1]元豊七年(1084)に高麗に使いし、「猩猩毛筆」を得て黄庭堅に詩を添えて贈った。
[2]『唐文粋』巻七七「裴炎猩猩説」を引く。大意は、阮研という人が封渓に使いした際に村人から聞いた話で、猩猩は山や谷に数百の群れでいるが、酒を道ばたに置き、草で履き物を作ってむすびつけておくと、はじめは履き物を見て罠だと気づき、仕掛けた者の祖先の名を罵って立ち去るが、結局はまたやってきて酒を飲み、酔っぱらうと履き物をはいて村人に捕まってしまう、という。
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