2021年2月25日木曜日

山谷詩0307

0307顕聖寺庭枸杞

  顕聖寺の庭の枸杞[1]

1仙苗寿日月   仙苗 日月 寿(なが)し
2仏界承雨露   仏界に雨露を承く
3誰為万年計   誰か万年の計を為し
4乞此一抔土①  此の一抔の土を乞(あた)えたる
5扶疏上翠蓋   扶疏として翠蓋を上げ
6磊落綴丹乳②  磊落として丹乳を綴らん
7去家尚不食   家を去るに尚お食わず
8出家何用許③  家を出ては何ぞ用って許さん
9政恐落人間   政に恐る 人間に落ち
10采剥四時苦④  采剥されて四時に苦しまんことを
11養成九節杖   養いて九節の杖と成し
12持献西王母⑤  持して西王母に献ぜよ

【通釈】

  顕聖寺の庭の枸杞

仙人が食べる枸杞の苗は、寿命を長くする。ここでは仏の慈悲の雨露を、注がれている。誰が万年も生きようとして、ひとすくいの土を盛った(植えた)のだろう。枝葉は茂って翠の傘をかぶったよう、実はぶらぶらと赤い乳を垂れている。家を去る(旅する)にも精力がつきすぎるからと食べないのに、出家の身でどうして食うことが許されよう(許されるはずがない)。(なのに寺に植えられたのは)きっと世間に生まれ落ちたら、むしりとられて春夏秋冬、四季苦しむことを恐れたからだろう。(この寺で)九節の杖となるまで育てて、西王母に杖として献上されるがよい。

【任淵注】

①『管子』に「百年の計は、之を樹うるに木を以てす」とある。『漢書』「張釈之伝」に「仮令(たとい)愚民長陵一抔の土を取るとも、何を以てか其の法を加えんや」とあり、注に「抔、音は歩侯の反、手もて之を掬うを謂うなり」という。乞の字は去声の読み。〇『本草』に「枸杞、一名地仙」とある。

②『漢書』「劉向伝」に「梓樹 枝葉を生じ、扶疏として上りて屋を出づ」とある。『蜀志』「先主伝」に「桑樹は童童として小さき車蓋の如し」とある。陸璣の『詩』の疏に「枸杞の子は秋に熟して正に赤し」とある。『文選』宋玉「風賦」に「枳句は巣を来たす(カラタチの曲がった枝振りは巣を引き寄せる)」とあり、李善注に司馬彪を引いて「桐子は乳に似て、其の葉に著いて生ず」とある。此は借用した。

③『本草』の「枸杞」の条に陶隠居が注して、「俗諺に『家を去ること千里、蘿摩・枸杞を食す勿れ』という。其れ陰道を強盛にするを言うなり」[2]とある。

④言うこころは、僧坊に在れば、則ち此を食すを用いず、故に采剥の害を免る。東坡先生の「後杞菊賦」に「吾れ方に杞を以て糧と為し、菊を以て糗と為す、春は苗を食い、夏は葉を食い、秋は花実を食い、而して冬は根を食い、西河南陽の寿を庶幾(こいねが)う」とある。

⑤『本草』に「枸杞は一名仙人杖、一名西王母杖」とある。老杜の詩に「安んぞ仙人九節の杖を得て、拄げて玉女の洗頭盆に到らん」とある。按ずるに、『真誥』に「楊羲、蓬萊の仙翁の赤九節杖を拄(ささ)えて、白竜を視るを夢む」とある。

【補注】

[1]枸杞には「仙人杖」など多くの異称があり、古くから精気を益して寿命を延ばすと伝えられてきた。それが寺に植えられているのはいったい何故だろう、と諧謔の詩を作った。

[2]この俗謡は蘿摩と枸杞についての禁忌で、「摘むと白い乳汁を出す」のは蘿摩のほう。蘿摩はガガイモ、生の葉や茎から出る白い汁は、塗ると蛇や虫さされの解毒になる。若い芽は、茹でたり炒めたりして食用される。乾燥した実や葉は、強精剤として用いられる。

2021年2月23日火曜日

山谷詩0301

0301有恵江南帳中香者戯答六言二首①

  江南の帳中香を恵む者有り戯に六言二首を答う
 
1百錬香螺沈水   香螺と沈水とを百錬して
2宝薫近出江南   宝薫 近(ちかご)ろ江南より出づ
3一穟黄雲繞几   一穟の黄雲 几を繞り
4深禅想対同参②  深禅 同参に対せんことを想う



1螺甲割崑崙耳   螺甲は崑崙の耳を割き
2香材屑鷓鴣斑   香材は鷓鴣斑を屑にす
3欲雨鳴鳩日永   雨(あめふ)らんと欲して 鳴鳩 日 永し
4下帷睡鴨春閑③  帷を下して 睡鴨 春 閑かなり

【通釈】

  江南の帳中香をくれた人がいたので、戯れに六言二首を返した

香螺(巻き貝の灰)と沈水(香木)を何度も練って、宝のような薫りの香(あの南唐の李後主が作らせたという帳中香)が、ちかごろ江南で作られた。ひとすじの穂のような黄雲(煙)が脇息のまわりに立ちのぼる。深妙禅(修行法の一つ)をして、(かつて馬祖道一に)同参した人々(のような友人、あなた)と向かいあいたい(李後主は美女と帳中で向かいあったのだけれど)。



崑崙(インド人)の耳を割いたような巻き貝の殻を焼いて灰にし、鷓鴣の羽のような斑点のある樹脂(沈水香)を細かくして、香の材料としている(貴重な良い香である)。(仏陀が五分法身香となって大三世界に慈悲の雨を注がれたように)雨が降りだしそうな気配に、晩春の長い昼下がり、鳩は羽をふるわせながら鳴き、とばりをおろした中では睡鴨の香炉に煙がたゆたい、のどかな春である。

【任淵注】

①洪駒父[1]の『香譜』に、「江南李主帳中香法」[2]がある。鵝梨(梨の一種で、皮が薄く汁が多い。濃厚な香りがある)の汁で沈香を蒸して使う。

②『文選』の詩に、「豈に意(おも)わんや 百錬の剛、化して指を繞る柔を作(なさ)んとは」とある。ここでは借用している。「香螺」は螺(巻き貝)の甲(殻)をいう。下篇の注に見える。唐の本草の注に、「沈水香は、天竺・単于の二国に産出する。木は欅や柳に似て、ずっしり重く、黒色で、水に沈むのが、これである」[3]とある。『伝灯録』に、「第二十二祖の摩挐羅(マヌラ)が西インドへ行き香を焚いた。そして月氏国の王はたちまち異香が穂のように立ち上るのを見た」とある。按ずるに、韻書に「穂」は「また穟とも書く」とある。『法華経』に、「みな深妙なる禅定[4]を得た」とある。『伝灯録』にはまた、「馬祖[5]に同参するもの九人」とある。

③唐の本草に、「蠡(ら。巻き貝の一種)の類は雲南に産出する。大きさは掌くらい、青黄色で、黒く焼いて灰を使う」とある。いま合香(あわせこう。香料を練り合わせて作った香)に多く使われる。詩句の意味は、よく香りを発して、煙がのぼるさま。韻書には、「蠡」は「螺とも書く」とある。韓鄂『四時纂要』に「脩甲香方」を載せて、「大甲香は、崑崙(インド人)の耳のようなものを採取し、酒で煮て蜜で煮詰めて、いろいろな香に入れて使う」とある。『倦游録』に、「高州や竇州(ともに現在の広東省)では結香[6]を産生する。山に暮らす人々は香木の幹や枝の曲がっている箇所を見つけると、刀で刻んで穴を作る。年月を経て雨水に漬かったものを、鋸で採取する。白木を削りとると、香が固まって斑点になっているので、鷓鴣斑とも呼ばれる」とある。『礼記』「月令」に、「(季春に)鳴鳩其の羽を払う」とある。李商隠の詩に、「睡鴨の香炉夕薫を換う」とある。

【補注】

[1]洪芻(字は駒父)は黄庭堅の甥。父の洪民師が黄庭堅の妹を娶り、四子(洪朋・洪芻・洪炎・洪羽)は「豫章四洪」と呼ばれた。早くに両親が亡くなり、祖母に養育された。祖母は黄庭堅の母の妹で、黄庭堅とその妹(洪芻の母)と洪民師はいとこの関係になる。祖父は洪文挙。

[2]「江南李主」は南唐の李後主、李煜のこと。

[3]「沈水香」(沈香)は、ジンチョウゲ科の香木。風雨や病気・害虫などで木が傷つくと、修復のため樹液が出て、それが固まって樹脂となり、長い年月をかけて胞子やバクテリアの働きにより成分が変質し、香りを放つようになる。樹脂により重くなり、水に沈む。とくに質のよい伽羅(きゃら)は、「沈香」のサンスクリット語(梵語)aguru(アグル)またはagaru(アガル)の油分が多く色の濃いものkālāguru(カーラーグル)が語源とされる。「天竺」はインドの旧名。「単于」は匈奴など北アジア遊牧国家の初期の君主の号。「天竺・単于」で産地の中央アジアから東南アジア一帯を指すか。

[4]「禅」はサンスクリット語(梵語)dhyānaの音写「禅那」の略。「定」はその漢訳。思いを静め心を明らかにして、真正の理を悟るための修行法。精神を集中し、三昧に入り、寂静の心境に達すること。六波羅蜜の一。

[5]馬祖道一(709~788)、漢州什邡県の出身で俗姓は馬氏、諡は大寂禅師。

[6]沈水香の一種。ふつうは樹液の油成分だけが固まるが、現地の蜜香樹の繊維質がまじって鷓鴣の羽のような斑点になるという。

2021年2月22日月曜日

『山谷詩集注』を読む

『山谷詩集注』二十巻、宋・黄庭堅撰、宋・任淵注。

これも少しずつ読んでいこうと思う。作品に整理番号をつける。例:

  0101 巻一の第1首
  2010 巻二十の第10首

詩題がすごく長い作品もあるので、タイトルにはこの整理番号を利用し、「山谷詩0101」のようにする。ブログ内部検索できるように。うまくいくかな~?


2021年2月21日日曜日

蔡義江『宋詞三百首全解』

 清・上彊邨民編、蔡義江解『宋詞三百首全解』(第二版)、復旦大学出版社、2015年。

清の上彊邨民こと朱祖謀(原名は孝臧)が編纂した『宋詞三百首』に、蔡義江が注解(注釈・語訳・賞析)を加えたもの。これを参考に、宋詞を少しずつ読んでいきたい。

2021年2月20日土曜日