2023年3月1日水曜日

白石歌050徴招

徴招

越中山水幽遠。予数上下西興・銭清間、襟抱清曠。越人善為舟、巻篷方底、舟師行歌、徐徐曵之、如偃臥榻上、無動揺突兀勢、以故得尽情騁望。予欲家焉而未得、作徵招以寄興。徵招・角招者、政和間大晟府嘗製数十曲、音節駁矣。予嘗攷唐田畸声律要訣云、徵与二変之調、咸非流美、故自古少徵調曲也。徵為去母調、如黄鍾之徵、以黄鍾為母、不用黄鍾乃諧、故隋唐旧譜不用母声。琴家無媒調・商調之𩔖皆徵也、亦皆具母弦而不用。其説詳於予所作琴書。然黄鍾以林鍾為徵、住声於林鍾、若不用黄鍾声、便自成林鍾宮矣。故大晟府徵調兼母声、一句似黄鍾均、一句似林鍾均、所以当時有落韻之譏。予嘗使人吹而聴之、寄君声於臣民事物之中、清者高而亢、濁者下而遺、万宝常所謂宮離而不附者是已。因再三推尋唐譜并琴弦法而得其意、黄鍾徵雖不用母声、亦不可多用変徵蕤賓・変宮応鍾声。若不用黄鍾而用蕤賓・応鍾、即是林鍾宮矣。余十一均徵調倣此、其法可謂善矣。然無清声、只可施之琴瑟、難入燕楽、故燕楽闕徵調、不必補可也。此一曲乃予昔所制、因旧曲正宮斉天楽慢前両拍是徵調、故足成之。雖兼用母声、較大晟曲為無病矣。此曲依晋史、名曰黄鍾下徵調、角招曰黄鍾清角調。

1潮回却過西陵浦、扁舟僅容居士。
2去得幾何時、黍離離如此。
3客途今倦矣、漫贏得・一襟詩思。
4記憶江南、落帆沙際、此行還是。

5迤邐剡中山、重相見・依依故人情味。
6似怨不来遊、擁愁鬟十二。
7一邱聊復爾、也孤負・幼輿高志。
8水葓晚、漠漠揺烟、奈未成帰計。

越中の山水は幽遠である。予(わたし)は数(しばし)ば西興・銭清の間を上下(いきき)し、清曠(のどけさ)を襟抱(あじわ)った。越の人々は善(うま)く舟を為(つく)り、篷(とま)を巻き方(しかく)い底で、舟師(せんどう)が歌を行(うた)いながら、徐徐(ゆっくり)と之(これ)を曵(ひ)くと、榻上(ベッド)に偃臥(ね)ている如(よう)、動揺(ゆれ)て突兀(とびあが)る勢いは無く、以故(そのため)に尽情(こころゆく)まで騁望(ながめ)ることができる(得)。予(わたし)は焉(ここ)に家(くら)したい(欲)けれども(而)未得(できな)い、「徵招」作って(以)興を寄せる。「徵招」「角招」は(者)、政和の間(ころ)に大晟府が嘗て数十曲を製(つく)ったが、音節が(雑)駁だった(矣)。予(わたし)が嘗て唐・田畸『声律要訣』を攷(しら)べると、「徵と(与)二変の(之)調は、咸(み)な流美に非ず」と云う、故に古(むかし)から(自)徵調の曲は少ないのだ(也)。徵(調)は去母調で為(あ)る、如(たとえ)ば黄鍾の(之)徵(調)は、黄鍾を(以)母と為(な)し、黄鍾を不用(もちいな)いと乃ち諧(かな)う、故に隋唐の旧譜では母声を不用(もちいな)い。琴家の無媒調・商調の(之)𩔖は皆(み)な徵(調)であり(也)、亦(ま)た皆(み)な母弦を具(そな)えているけれども(而)不用(もちいな)い。其の説は、予が所作(か)いた琴書に(於)詳しい。然(けれど)も黄鍾(均)は林鍾を(以)徵(声)と為(す)るので、住声は林鍾で(於)、若(も)し黄鍾声を不用(もちいな)いと、便(すなわ)ち自(おのずか)ら林鍾宮(均)に成るのだ(矣)。故に大晟府の徵調は母声を兼ねて、一句は黄鍾均に似て、(別の)一句は林鍾均に似て、所以(そのため)に当時、落韻の(之)譏(そしり)が有った。予(わたし)は嘗(かつ)て人に吹かせ(使)て(而)之(これ)を聴いたが、君声を臣民事物の(之)中に(於)寄せると、清者(たかいおと)は高くて(而)亢(あが)り、濁者(ひくいおと)は下って(而)遺(のこ)る、万宝常の所謂(いわゆ)る「宮が離れて(而)不附(つかな)い」者(もの)が是(これ)れだ(已)。因(そこ)で再三、唐譜并(なら)びに琴弦法を推尋(さが)して(而)其の意を得た、黄鍾徵(黄鍾均徴調式)は母声を不用(もちいな)いと雖(いえど)も、亦た変徵の蕤賓と変宮の応鍾の声(おと)を多用してもいけない(不可)。若(も)し黄鍾を不用(もちいな)いで(而)蕤賓・応鍾を用いると、即ち是(これ)は林鍾宮(林鍾均宮調式)である(矣)。余(ほか)の十一均の徵調も此(これ)に倣(なら)えば、其の法(やりかた)は善(よ)しと謂(い)うことができる(可)のだ(矣)。然(けれど)も清声(たかいおと)が無いのは、只(た)だ之(これ)を琴瑟に施ることができる(可)だけで、燕楽に入れるのは難しい、故に燕楽では徵調を闕(か)くが、必ずしも不補(おきなわな)くても可である(也)。此の一曲は乃ち予(わたし)が昔に所制(つくったもの)で、旧曲は正宮「斉天楽慢」の前両拍が徵調だった(是)ことに因(よ)り、故に之(これ)を成(つく)るのに足りた。母声を兼用していると雖も、大晟曲に較(くら)べれば無病に為(な)るのだ(矣)。此の曲は晋史(『晋書』「楽志」)に依り、名づけて黄鍾下徵調と曰(い)い、角招は黄鍾清角調と曰(い)う。

 

1潮は回り却(おもいがけ)ず西陵の浦を過(とおりすぎ)る、扁舟(こぶね)は僅(わずか)に居士のみ容(の)せて。

2去得(さ)ってから幾何時(どのくらい)たったろう、黍は此(こ)の如(よう)に離離(さわさわ)と。

3客途(たびじ)に今や倦矣(あきあき)して、漫(むだ)に一襟(わずか)な詩思(しごころ)のみ贏得(のこ)す。

4記憶(おもいだ)す、江南で、帆を沙際(きしべ)に落した、此の行(たび)も還(ま)た是(おな)じ。

 

5迤邐(うねうね)と剡中山、重(ふたた)び相見(あ)った、依依(ぐずぐず)と故人(ふるいとも)の情味(あじわい)。

6遊びに不来(こな)いのを怨んでいる似(よう)な、愁いた鬟十二(みねみね)を擁して。

7一邱(おか)にて聊復爾(しばらくこのまま)でいたいが、也(ま)た幼輿の高い志(こころざし)に孤負(そむ)いた。

8水葓(みずくさ)の晚、漠漠(ぼんやり)と揺れる烟(もや)、奈(どうし)て帰る計(すべ)は未成(できな)いのか。


嘉泰元年(1201)、四十七歳の作。 0西興:浙江蕭山県西北。 銭清:銭清江。浙江紹興西北。 巻篷方底:船底が方形で、帆を折って巻きあげる舟。 政和:北宋の徽宗の年号。1111年から1118年まで。 大晟府:徽宗が設立した音楽署。『宋史』「楽志」に、徽宗の政和年間に、大晟雅楽を燕楽に広めた、とある。 唐田畸声律要訣:『声律要訣』は音律の書で、唐代の司馬であった田畸の撰。一説に司馬の田畴の撰という。佚書。 徵:中国古楽の五音(宮・商・角・徴・羽)の一つ。 二変:変宮と変徴。 予所作琴書:散逸した。 落韻之譏:葉夢得『避暑録話』巻一に、崇寧初年に大楽にも欠けている徴調を作ろうという議論が起り、反対が多い中、作ってみたが、音律が調和せず「落韻」だと批判された、とある。 君声於臣民事物之中:『楽記』に「宮為君、商為臣、角為人、徴為事、羽為物」とある。宮商角徴羽は音楽用語だが、これを君臣人事物に当てはめて、統合性を論じる。 清・濁:オクターブ高い音域を「清」とする。 万宝常:隋の民間音楽家。北斉の時に父が罪を得て、楽戸に落とされ、隋代になって鄭訳らと八十四調を定めた。貧乏で子は無く、病気になった時に妻に逃げられ、餓死した。死後、その著作も焼かれた。 宮離而不附:『北史』巻九十に楽人王令言の言葉として記録されている。また『碧雞漫志』巻三に、寧王(李憲)が涼州曲を論じて「宮離而不属」と言った、とある。 燕楽:燕射の楽。隋唐以来、西域を中心とする周辺の民族音楽を取り入れて、宮廷音楽として発展した。 1西陵:浙江西興。 2黍離離:荒廃した様子。『詩経』王風「黍離」に「彼黍離離、彼稷之苗。行邁靡靡、中心揺揺」とある。 5迤邐:曲がりくねりながら続くさま。 剡中山:剡県一帯の山。浙江剡県に剡山、剡渓がある。 6愁鬟十二:剡山の峰を女性の髷が並ぶ様子に喩える。 7一邱:隠棲する地。『世説新語』「品藻」に「明帝問謝鯤、君自謂何如庾亮。答曰、端委廟堂、使百官準則、臣不如亮、一丘一壑、自謂過之」とある。 聊復爾:しばらくこうしていよう、の意。『世説新語』に阮咸が批判されて「未能免俗、聊復爾耳」と答えた話が見える。 幼輿:謝鯤の字。任達して仕えず、歌と琴を善くした。 8水葓:水草の名。花は赤か白で観賞用となり、実は薬用になる。

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