2022年8月15日月曜日

068青玉案(蘇軾)

青玉案 蘇軾

和賀方回韻、送伯固帰呉中

1三年枕上呉中路、遣黄犬・隨君去。
2若到松江呼小渡、莫驚鴛鷺、四橋尽是・老子経行処。

3輞川図上看春暮、常記高人右丞句。
4作箇帰期天定許、春衫猶是、小蛮針線、曾湿西湖雨。

賀方回の韻に和して、伯固が呉中に帰郷するのを見送る

1三年のあいだ枕もとでふるさと呉中の路を夢見ていた君、いま晋の陸機がしたように、手紙を運んでくれる黄犬をやって、君について行かせよう。
2もし松江に到着して小さな渡し場で船を呼ぶなら、鴛鷺を驚ろかしてはいけないよ、あの四橋一帯はどこもかしこも、このおいぼれが足跡を残したところなのだから。

3「輞川図」に見える暮れの景色に、いつも高踏な人、王維右丞の詩句が思い出される。
4私が帰郷する期日をひとつ定めることを、天もきっと許してくれるだろう、そのとき私は春の上着をまだ着ているだろう、うちの小蛮が針と糸で縫ってくれた、かつて西湖の雨で湿った、あの上着を。

蔡義江『宋詞三百首全解』注:
0賀方回:賀鋳、字は方回、号は鑑湖遺老。 伯固:蘇堅、字は伯固、蘇軾と「宗盟」を結んだ。哲宗の元祐四年己巳(1089)から、蘇堅は蘇軾に随って杭州に居り、三年後に帰郷した。元祐七年壬申(1092)、兵部尚書として召還された。 1黄犬:晋の陸機の犬が「黄耳」という名で、陸機が洛陽にいた時に、手紙をその首にかけ、松江の家まで行って、返事をもって洛陽まで戻ったという。『晋書』「陸機伝」に見える。 2四橋:姑蘇に四橋がある。 3輞川図:唐の王維が尚書右丞だった時に、網川(今の陝西省藍田県網谷川口)に別荘を建て、網川の風景詩をたくさん作り、藍田の清涼寺の壁に「網川図」を描いた。 4小蛮:『本事詩』に、白居易に歌の上手な樊素、舞の上手な小蛮という家妓がいて、詩に「桜桃樊素口、楊柳小蛮腰(桜桃 樊素の口、楊柳 小蛮の腰)」とある。

※北宋の時代、みどころのある詩人がいたら引き立て、禅宗を真似て「印可」していた。蘇軾は積極的に「印可」と「品題(ランク付け)」をした。「宋代の文士は熱心に『宗盟』を結成し、文壇の宗師は、欧陽脩から蘇軾へ、蘇軾から黄庭堅へ、黄庭堅から江西詩派のほかのメンバーへと代々相伝しても、盟主はその責を放棄することなく、常に領袖たる宗師として自任し、メンバーも自ら願って盟主たる宗師の門下にあった……」(王兆鵬著、萩原正樹・松尾肇子・池田智幸監訳『宋代文学伝播原論:宋代の文学はいかに伝わったか』、朋友書店、2019)

賀方回の韻に和し、伯固が呉中に帰るのを(みおく)

 

1三年の枕上(まくらもと)での呉中の路、黄犬を(つか)わし君に隨って()かせよう。

()し松江に()いて小さな(わたしば)で呼ぶなら、鴛鷺を驚かせては(いけな)い、四橋は(どこもかしこ)老子(おいぼれ)経行(あしあと)(ところ)

 

3輞川図の上に春の暮れが見える、(いつ)も高人右丞の句を記す。

(ひと)つ帰る()を作めることを、天も(きっ)と許すだろう、春の(うわぎ)()(やは)り、小蛮(あのこ)針線()って、(かつ)て西湖の雨に湿ったもの。


qīng yù àn

hé hè fāng huí yùn,sòng bó gù guī wú zhōng

1 sān nián zhěn shàng wú zhōng lù,qiǎn huáng quǎn、suí jūn qù.
2 ruò dào song jiāng hū xiǎo dù,mò jīng yuān lù,sì qiáo jìnshì、lǎo zǐ jīng xíng chù.

3 wǎng chuān tú shàng kàn chūn mù,cháng jì gāo rén yòu chéng jù.
4 zuò gè gu īqī tiān dìng xǔ,chūn shān yóu shì,xiǎo mán zhēn xiàn,céng shī xī hú yǔ.

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